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山本文緒「そして私は一人になった」 読みました。2015.6.3

 彼女は基本的に怠け者ですね。村上春樹のいうところのシステム化されている。思考が。これじゃ、行きつく先は一人になっちゃうよ。もっとその回路が柔軟になった方がいいと思います。でも現実には一人ではないですね。友達にカレシに親に編集者に繋がっている。最後にはインドに友人と旅行して、おばあちゃんと意気投合する。うつというけど大したうつではないな。実際今では回復しているというから、おそらく今後も生きていけると思います。ユーモアもあるしね。人間性はオモロイと思います。そうやってうまく心のバランスをとっているのでしょうね。

 

 併行して、今、高橋哲哉氏の「デリダ」を読んでいます。ジャック・デリダはデコンストラクシオン(déconstruction)を徹底して、死ぬまで明確な結論を安易に述べることを避けた方であると思います。何かに対して結論を述べた瞬間、それは必ず誰かもしくはその後の自分に否定されるということが解っていたからです。だからデリダはそのことを例えば古代ギリシアにおいて語られたパルマコン(pharmakon)の寓話を使って説明した。つまりある現象なりを解析した時に、「薬」としての役割を持つのと同時に「毒」としても機能するということです。デリダはさらにエクリチュール(écriture=書き言葉)とパロール(parole=話し言葉)の言語における対概念を使って、メルロポンティやフッサールが指摘した両義性(ambigut)の概念をさらにアウフヘーベンして、そのためにデリダデリダという存在自体をもある意味否定してまで、あるいは否定せざるを得なくなり、存在や現象の本質の不可知性に身をもって言及したのです。実際思想界の世界的スターであるにもかかわらず、その自らの考えから控えめでむやみに人前に姿を見せなかったといいます。

 ユルゲン・ハーバーマスとは対照的です。ハーバーマスは紋切型ですからね。皆さん公共空間で大いに議論をしましょう。その結果理解が深まり問題を解決していきましょうと。万人受けしてメッセージが伝わりやすいので、知識人の間ではある意味多くの支持を集められたといえるのかもしれません。両者ともその主張は平たく言えば平和主義だし人道主義には違いありません。ハーバーマスはあらゆる権威のある場に多くの知識人を集めて講演し、その知をひけらかしていました。講演を行うと威圧的で圧巻だったようで、しばしば一応影では彼は傲慢といわれていました。

 

 二人を比較する意味が果たしてあるのかどうか別として、山本氏ももうちょっと教養のあるところ見せろよと言いたいです。

 

 日経の記事については読みます。上下ですかね。併せて感想を公表します。今年で日韓基本条約締結から50年です。

 今、中村一成(ナカムラ イルソン)さんの「ルポ京都朝鮮学校襲撃事件-ヘイトクライムに抗して-(岩波書店)」を読んでいます。中村氏は元毎日新聞記者のライターで、日本において在日韓国人の特に子ども達が不当な暴力の危険に曝されていると警鐘を鳴らしています。

 何故在日コリアンが日本に多く存在するのか。それは1911年に日韓併合が行われたからです。それにより大日本帝国帝国主義を進め西洋欧化政策をはかるために、つまり富国強兵、殖産興業のため朝鮮半島から兵力、労働力を強制連行したからです。その結果、日本敗戦後も、経済・言語・家族(子ども)などで日本に同化させられていたコリアンが日本に滞留せざるを得ないという現実が生じてしまったのです。何も彼らが好き好んで日本に居留しているわけではないのです。在日コリアンの問題は日本国家の世界大戦への参戦がもたらしたトラジェディー(tragedy)としかいいようがありません。

 今、歴史について語りました。経済も私なりに語りたいと思います。