読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

今日、あなたの母校に行ってきました。2015.9.25

 あなたと電話で話をしたときに、私に対してあなたから大学院への進学を提案いただきました。それでもし本気で考えるのであれば、少し遠いですが京都で頑張ってみようかと思ったのです。今日は文学部の進学説明会の日で行ってきました。2時間少々のオリエンテーリングでした。参加者は若い人が殆どでそのような人たち(特に女性(笑))に囲まれて何となく幸せに感じました。

 志望専修別に別れて質疑応答が行われました。幾つかの質問があった後、教授からその場において少々場違いとも思えるおっさんの私に違和感を感じずにはいられなかったのでしょう。どういう研究を行いたいのかと興味津々に?尋ねられ、私が端的に答えると、あまりにもテーマが大きすぎるので、もう少し個別事象に焦点を当ててその問題から派生する諸問題を取り上げつつ世界全体の問題として考える必要性があるのではないか。一つ間違えるとホラ話のような結果になり兼ねない。ただips細胞のように一つの閃きが新しい概念を産み出すようなこともあるといえばある、とアドヴァイスをいただきました。

 流石京都の教授、すぐに私の魂胆を鋭く見抜き、私の誇大妄想癖?に楔を入れて来ました。私は指導に感謝しました。論文というのは派手さのない地道な作業のたまものであるときっぱりと説明もありました。しかし、カントが言うように理性(論理)と感性(感情)を繋ぐ悟性(構想力)をどう導き出すかが、主権がpeopleにあるとして個人に近代自我が認められ近代社会が成立してきて以来問われていると考えます。デカルトが思索の自由に価値を見出しそれに尊厳が与えられて来た、だからこそ、我々一人ひとりの言動が個人の責任のうえに成り立っているといえ、私たちは考えて行動しなければならない、このことが正に主権在民の原理です。

 人類の歴史が戦争の歴史といっても過言ではないような歴史に至っているこの悪い流れを断ちきらなければならない。そのためには我々一人一人が能く考えなければならない。そして未来に生きることになる今は未知の他者に向って、現在を生きる我々がどのような正の遺産を残していくのかを想像しなければならないと思います。これは論理ではない。構想力であると考えます。このような考えはある意味において根拠のない論理=ホラ話のようになり飛躍しすぎることになると言えるのかもしれませんが、私はカントの説く悟性というものも大切にしたいと思っております。

 あなたにこうして出合えたお蔭で大学院進学という考えを抱くことになりました。まだ受験するかどうかは検討中です。しかしこのことがきっかけで結構色んな事にフィールドを広げることが出来て有意義な時間を過ごしています。あなたのおかげですよ。その内にティロールの著作にも触れたいと思っております。