Jean Tirole氏の著作読みました 2015.10.9

 Jean Tirole氏の著作「Financial Crises, Liquidity, and the International Monetary System」を最近読みました。 

 経済にはそれなりに関心を寄せており、かつて知人に君のそれの議論は素人はだしだよと揶揄されたことがあるくらいです(笑)。 

 Tirole氏によると、この時代は世界の経済活動の大前提として、銀行による関与=融資が極めて重要で、逆説的にはそれが不十分だと最早経済活動は成立しないとことにあるとして、その上で論を展開しているものと存じます。その結果の罪に当たるものとして、金融を掌る政府、銀行、企業、投資家の間でモラル・ハザードが生まれ、実体経済との乖離が甚だしくなり、歴史を省みた時に、80年代初めのチリをはじめとするラテンアメリカ諸国における銀行破たん、90年前後の日本におけるバブル経済の崩壊、90年代後半の韓国や東南アジアにおいての通貨危機が生じた。2002年の論文ですので本書には触れられておりませんでしたが、2008年のアメリカにおけるリーマンショックに伴う世界規模の株価暴落も然りです。だから貸し手である銀行はIMFとの連携のもと冷静な対応が必要とされ、金融政策には政府、投資家にも同じテーブルに乗せて協議する必要もあり、一方借り手である企業にはコーポレート・ガヴァナンス・コードの遵守が求められるということかと存じます。

 Tirole氏の論は、ジョセフ・スティグリッツポール・クルーグマン、最近ですとトマ・ピケティの議論にも通じているものと思います。ピケティーは著書「21世紀の資本」の中で経済の歴史を振り返り、統計的に常にr>gであることを発見しました。Tirole氏の論に重ねて考察すると、その場合、r≒投資=マネーとして、g=実体経済を意味しているといえ、つまり世界経済の規模は常に実体経済の規模を超越している、換言すればヴァーチャル経済が近代社会において世界を支配し続けているという歴史が明らかにされたのです。Tirole流に言えば、その超過している部分は未来への投資ということになるのでしょう。一方ピケティはそのことが格差社会を生みだす元凶であり、不平等感から国家間において戦争が繰り返されてきたとして、その改善策として資産に対する累進課税を提唱し、資本主義経済内での平等な社会の実現を目指すべきであると主張するのです。 

 あなたが感銘を受けたというクリストファー・ノーラン監督の映画「インターステラ」は、経済問題等から、見境が無くなるようなモラルハザードが大規模に生じれば、ITに支えられた現代のような高度に先進されたハイテク社会が簡単に崩壊することを見越して、その後の破滅的な社会の生末からいかに人類は新たな世界を創造することが出来るかという人類の課題に挑んだ作品であると思います。ノーランもこの社会のヤバさに気付いているということを前提に考えていると思います。 

 来週にはノーベル経済学賞が発表されます。ピケティーだといいのですが。(結果はアンガス・ディートン氏でした) 

 因みに文学賞の方はベラルーシの方でスベトラーナ・アレクシエービッチ氏でした。村上氏でなくて残念ですが、私は過去数年の同賞受賞者の中で最も注目に値する作家であると思っております。メディアの論調を聞いている限りにおいてですが、第二次世界大戦に従軍した女性兵士の取材に基づく告発や、チェルノブイリ原発事故における住民の証言をもとにした告発などを、その著書などにおいて積極的に行っているとのことです。経済問題から派生する闇に光を当て問題の深刻さを浮き彫りにしようとされているのではないでしょうか。 

 沖縄の基地問題もそうですが、中央の繁栄は周辺の犠牲のもとに存在するという構図が、この東欧、そして中南米にも当てはまると思います。つまり安定した電力供給を含めたモスクワの繁栄は原発を設置したウクライナにおける危険と引き換えに存在するのです。かつての東欧諸国もワルシャワ条約機構の傘下に入ってソ連の盾になって、ソ連への西側諸国からの介入を阻んでいました。 

 中南米においても例えばチリがそうです。漁業産物、鉱業産物の利権を巡ってアメリカの繁栄のためにその資本が介入されてきたという歴史があります。今日のTPP問題にまでもその構図は至っていると私は思っています。一方でキューバベネズエラは抵抗し続けました。少しその状況は変化してきておりますが、要するにフリクションが生じている社会では、人間が極限の状況に置かれることによって、文学的には興味深い人間模様として表象されやすいのです。 

 このため文学の世界では、20世紀後半から現在に至り、注目を集めているのが中南米と東欧と言われます。私は京都の後東京に目を向けて見ました。人文社会系研究科の中に現代文芸論研究室という部門があります。そこのカリキュラムを見ているとペルーだとかポーランドとかに重点が置かれているのです。私の好みの作家、チェコに生まれプラハの春の後にフランスに亡命を余儀なくされたミラン・クンデラ(「存在の耐えられない軽さ」の著者、映画にもなりました、他に「不滅」などがある)も東欧の作家です。同時代を生きている大江健三郎氏との比較で考えたいというのが私の思いであります。このクラスには沼野 充義氏(ロシア東欧文学、近代日本文学を含む世界文学論)や柴田 元幸氏(アメリカ文学)などが教授陣においでです。超一流の先生の講義を受けてみたいと思う今日この頃ですが、東京なので色々と考えるところがあります。また試験には第2外国語があるという問題もあります。